【四季折々】重陽の節句【しげよし】

2018/09/04


9月9日は、五節句のひとつである「重陽」(ちょうよう)、菊の節句です。私ども「しげよし」は、四季折々の日本の心を大切にさせていただいております。今回は、菊に長寿を祈る重陽の節句について、お話をさせていただきます。


18秋_203_箱御膳会席

■陽の数「9」が重なる日に菊酒を飲んでお祝いをしました

古代中国では、季節の節目となる日に邪気を払う儀式をしていました。それが、1月7日の人日(じんじつ、七草の節句))、3月3日の上巳(じょうし、桃の節句)、5月5日の端午(たんご、菖蒲の節句)、7月7日の七夕(たなばた、笹の節句)、9月9日の重陽(菊の節句)といった「五節句」の始まりです。
古来、中国では奇数を陽の数としていたため、陽の極である九が重なる9月9日は大変めでたい日とされました。菊の花を飾った「菊酒」を酌み交わし、長寿を願って祝ったと伝えられています。日本には平安時代の初めに重陽の節句が中国から伝わり、宮中では観菊の宴が催されました。

菊酒は、お酒に菊の花びらを浮かべ、菊の香りを楽しみながら飲むお酒です。中国では、菊の花は不老長寿に結びつくと信じられており、重陽の節句に菊酒を飲むのが習わしとなっていました。
また、菊の花びらを湯に浮かべる「菊湯」も重陽の節句ならではです。菊の芳香には、カンフェンなどの精油成分が含まれています。リラックス効果や血行を促進する効果があり、体の芯まで温まるといわれています。
菊の花を陰干しにして乾かし、枕の中材にする 「菊枕」という風習もあります。長寿を願うものですが、菊の香りのリラックス効果で安眠できるともいわれています。


18秋_211_祝い会席御膳

■菊の花や和菓子に「着せ綿」をするのは「アンチエイジング」の意味があります



紫式部の「紫式部集」にある「重陽の菊の着せ綿」という章では、平安時代中期で行われていた「重陽の節句」の習わしが出てきます。
9月9日の夜、藤原道長の屋敷で警備を担当する兵に仕えていた女房が、紫式部のもとを訪れます。そして、
「殿(藤原道長)の北の方(道長の正妻である倫子)が、あなた(紫式部)に特別にこれを差し上げますから、老いを拭き取ってお捨てなさいとおっしゃっていました」
と伝えながら、紫式部に菊の着せ綿を渡します。

菊の着せ綿とは、9月8日の晩に菊を覆い、夜露で菊の香りが移った真綿です。この菊の着せ綿に含まれた夜露で9日に顔や体をぬぐうと、老いが除かれると信じられていました。今でいう、アンチエイジングですね。
これは、女のバトルです。殿の正妻が、文才を殿から愛でられていた紫式部に嫉妬して、
「あなたはちょっと頭がいいかもしれないけど、老けているから菊の着せ綿を差し上げるわ。これで顔でも拭いなさいよ」
と、挑発しているというわけです。
これに対して、紫式部は
「菊の露 わかゆばかりに袖ふれて 花のあるじに千代はゆづらむ」
(この着せ綿に含まれた菊の露に、私は少し若返るくらいに袖を触れるだけにいたしましょう。千年の寿命は、菊の持ち主である奥様にお譲りいたしますわ)
と少し皮肉を効かせた和歌を返そうとしますが、奥様はもうお休みですと女房から言われたので結局何もしなかったと記しています。あの才女、紫式部がムッとしながら書いている様が目に浮かぶようで、微笑ましいですね。
今でも、京都では9月8日の夜に菊に綿をかぶせます。また、和菓子の世界では、菊を象った菓子に綿に見立てた白あんを載せた「着せ綿」という練り切りをお出しします。

■和食の世界では菊花餡を使います



菊花餡とは、蒸し物や煮物にかけるあん(銀あん、べっこうあんなど)に菊の花を添えたものです。
「私どもの料理を召し上がってくださるお客様が、若々しく、幾久しくお過ごしになられますように」
という料理人の願いが込められています。
お出汁で上品に仕立てましたあんに菊の高貴な香りが添えられ、後味もさっぱりといたします。残暑でお疲れの体にも、すっと入っていくようなすっきりとしたお味です。
私どもしげよしでは、箱御膳会席、祝い会席御膳、秋の会席膳にて、煮物などに菊花餡を使わせていただいております。
9月のお集まりにお使いいただければ幸いです。

私どもしげよしは、皆様のかけがえのないひとときのために、ご期待以上の品質をご提供させていただけるよう、これからも頑張りますので、お引き立てのほどよろしくお願いいたします。