【食材のこだわり】ふぐ【しげよし】

2019/01/08

寒さが一段と厳しくなって参りましたが、冬をお好きな季節に挙げる方も多いようです。
冬がお好きな理由の一つには、冬の味覚を楽しみにしているということがあるようです。冬の味覚というと、何を思い浮かべますか。
今回は、冬の味覚の代表例、ふぐについて、とりわけ、ふぐが食べられてきた歴史に焦点をあてて、ご紹介致します。

 

■ふぐ食の歴史

 

ふぐ食の歴史で最も古いのは、中国ではないかという説が有力です。今から2300年前に記された地理書に「ふぐを食べると死ぬ」との記述があり、中国では、かなり古い時代からふぐを食べていたことがわかります。
日本では、縄文時代の貝塚からふぐの歯骨が出土しましたので、縄文時代からふぐを穫っていたことがわかります。その後平安時代の書物にも、ふぐが登場します。
時代が変わり、戦国時代です。豊臣秀吉の朝鮮出兵のため、沢山の武士が九州に集結しました。この時、武士たちが、相次いでふぐ中毒で死亡するという大惨事が起きました。そこで、豊臣秀吉は「ふぐ食禁止令」を出し、ふぐを食べることを禁止しました。
江戸時代になっても、武士に対してはふぐ食を禁じる藩が多く、ふぐ食が発覚した場合には、厳しい処分が下されました。
しかし江戸時代は、魚の食文化が発達した時代でもあり、厳しい取り締まりの中でも、庶民の間では、ふぐはよく食べられ、庶民の味として愛されていたようです。
江戸時代に記された料理物語の中に、「ふぐとう汁(ふぐ汁)」という料理法が記されていますし、著名な俳諧、松尾芭蕉や小林一茶も、ふぐ料理を季語にした俳句を残しました。
明治になっても、この禁止令は続いていきます。

 

■ふぐ食禁止令の解除

 

下関市の赤間神宮の隣にある割烹旅館「春帆楼」は、明治15年(1882年)頃に開業しました。
ここは、高杉晋作が組織した奇兵隊の本拠地があった場所です。その跡地に、医師であった藤野玄洋が病院を建て、没後に妻のみちが割烹旅館として開業しました。
昔から藤野夫妻と親しかった伊藤博文は、みちを援助し、「春帆楼」という屋号を付けてあげたといいます。
その後、伊藤博文は初代内閣総理大臣になりました。総理になった後、「春帆楼」に宿泊する機会がありました。
宿泊の際、魚を食べたいと言う伊藤博文でしたが、その当時、悪天候が続いており、海はおおしけで、お出しできる活魚は何一つありませんでした。困り果てたみちは、打ち首を覚悟でふぐを調理し、伊藤博文の御膳にお出ししたといいます。
翌朝、総理がおかみを呼びつけました。女将が何事かとおそるおそる行ってみると、「昨日の夜に食べた魚は何という魚か」と聞かれました。女将は平身低頭し、悪天候が続き魚も全然とれないので、禁制の魚を差し上げてしまいましたと素直に謝りました。
すると伊藤博文は、「非常においしかったのだ」とおっしゃられたのです。
伊藤博文本人は、若い頃からふぐを食べ、味を知っていたといわれていますが、みちの料理で、ふぐのおいしいさを再認識したようでした。そして、ふぐの危険性を含め、ふぐについての質問をあれこれしたといいます。それほどお気に召したのですね。
女将が、調理方法を十分注意すれば絶対にあたることはなく、この場所では唯一の珍味としてお客様から喜ばれていることを説明すると、大変感心され、翌年、当時の山口県令に命じて「ふぐ食禁止令」を解かせたといいます。
こうして、「春帆楼」は、ふぐ料理公許第一号となり、現在もふぐ料理の老舗として人々に愛されています。
ふぐ料理が決め手となったのかは定かではありませんが、伊藤博文の推薦により、明治27年、日清戦争後の講和会議が「春帆楼」で行われました。
その後、昭和に入ってから全国条例で、免許を持つ者だけがふぐの調理を許されるようになりました。

 

■ふぐの呼び名あれこれ

 

全国どこでも、「ふぐ」と呼ぶわけではありません。面白い名前がついている地域がありますので、ご紹介致します。
下関や北九州などでは「ふく」と呼びます。これは、「ふぐ」では「不遇」あるいは「不具」につながるとし、「福」につながる「ふく」と呼ぶようになりました。
大阪では「てっぽう」と呼びます。ふぐは、たまに当たることがあることと、「弾に当たる」「当たると死ぬ」を掛けた洒落からきています。
また、ふぐの刺身を「てっさ」、ふぐ鍋を「てっちり」と呼びますが、この名前もこの洒落から来ています。
「てっちり」と呼ぶ別説も大変興味深いです。長い間、ふぐ食禁止令があったので、ぶぐを暗号で呼び、隠れて食していました。この暗号の名が「テツ」だったことから、「てっちり」になったという説もあります。
大阪は、全国のふぐの水揚げの約6割が消費されているほど、ふぐは大変人気です。
長崎県島原地方では「がんば」といいます。方言で「棺桶を置いてでも食わねば」という意味の「がんば置いてでん食わんば」の略といわれています。
全国各地で、長い間、ふぐが愛されてきたのがわかりますね。

ふぐは、淡白でありながら奥深い味わいが多くの美食家たちを魅了してきました。一度食べると忘れられない味わいだと評されます。
機会がございましたら、是非召し上がってみて下さい。